2000年10月後半日記
10月28日 土曜日 |
「ちゃんと3年分若いなぁ。」そんな嫌味より「ほーら、こっちの方がいいじゃない。」思わず口をついて出た素直な感想にショックを受けた。いや、そうではない、咄嗟に反論できなかった私、むしろ「そうね。」と答えてしまいそうだった自分の感覚がショックだった。 必要があって、ビデオカメラを点検していて、入れっぱなしのテープを見つけた。息子がいたずらで撮った3年前の家族と庭の様子が映し出された。石畳の横に緑の芝生、花壇が控えめに小道の横に作られている。そのバランスがすっきりと庭は今より広く見えた。 より良くしようと知恵を絞ってきた。色のバランスも考えた。暖色の強い色調や大きな花は庭を狭く見せるので避けてきた。草丈も考えて植えた。いったん植えたものの、周りとのバランスを考えて、泣く泣く抜いて里子に出したものもある。 ありったけの装飾品を身にまとうような趣味はない。部屋もさっぱりと片付いている方がいい。こってりと脂ぎった料理より薄味のお吸い物がいい。好物は?と聞かれて「お麩です。」と答えると、たいがいの人に笑われる。なのに庭だけはイングリッシュガーデンに心酔して、ひたすらプラス志向で植え込んでいる。 あのバランスがいいのはわかっている。庭の広さが、せめて、今の倍あれば、だ。それが叶わなければ、庭全体が寄せ植えコンテナになっても仕方がない。きっと心がぐらついたのは、小さな画面に映った映像だからだ。来年の初夏に庭をビデオに撮って見比べて、その時、本当の勝負だ。それでも以前のほうがよいと言ったら、相棒に2台分の車庫を庭に返還する事を、本腰を入れて交渉しよう。(写真はテラスから見た庭の一画) |
10月26日 木曜日 |
それほど寒くないのに、外にいられないのは風の強さのため。昨夜は強い雨音に起こされた、今朝、雨は上がって風が唸っている。電線が歌うと木枯らしの音だと思う。 電線にはここ数日ツグミが並んでとまっていた。遅れてくる仲間を待つかのように、昨日は皆で南をじっと見つめていた。集団で渡って来ても、冬はばらばらに過ごすらしい。真冬にこの鳥が大勢でいるのは見たことがない。自由行動に移る前にここで集合、休憩?まさか簡閲点呼でもするのか。春になったら、またちゃんと集まって旅立つところが、私から見ればまさに超能力だ。鳥だから当然、鳥能力か・・・なんちゃって。 広くもない庭いっぱい散らかった木の葉に、遅れ気味の庭仕事をせかされるようだ。それにしても、いい色の落ち葉だ。木にあるときは夕焼けを閉じ込めたようだった。土に返る前、燃えあとのほのかな暖かさのこの色は、昔、コタツで懸命に剥いた焼き栗を思い出させる。 昨日おけいこに来た子が、爪の中を真っ黒にしてきた。「学校でヤキイモしたの」夕方そろそろお腹の空いてきた私を、羨ましがらせた。私の「いいなぁ」があまりにも情感たっぷりだったのか、やってごらんと、おいしい焼き方を教えてくれた。枯れ枝と枯葉はあらかじめ燃やして、それらが黒くなったところへお芋を入れて、蒸し焼きにする、すると焦げずにおいしくできる。間違ってもお芋と枯葉を一緒に燃やさない事、黒焦げ芋になってしまう。どうやら、そんな苦い経験もあるらしく、しきりに今年は良かった今年は良かったと繰り返していた。 相棒にその話をすると、そんな事は当たり前、誰だって知っている、と言う。そうだったか、でも、空に昇る煙が全て疑いの目で見られる世の中では、当たり前の知恵も先細りの煙のように、いつか薄れていくかもしれない。(写真は秋色を帯びたフウチソウ) |
10月21日 土曜日 |
気になっていたので、雨あがりを待って庭に出た。ホトトギスと台湾ホトトギス。図鑑で見たらホトトギスは白地に紫の点々。鳥のホトトギスの模様に似ているところから付いた名前と記憶しているが、鳥の図鑑はないのでわからない。 ここへ引っ越した当時に「庭に植えるものがないんです。」と言ったら、「増えすぎて困っているから貰ってちょうだい。」と、知り合いのお茶の先生に頂いたもの。アスチルベもイカリソウもエノテラもミズヒキも、名前は聞いたが、その時は右から左、茶花とはなんと地味な物よと、庭に興味のない頃は植えっぱなし。 子供が三輪車で走り回っても、相棒が子供たちと野菜畑を作っても、この花たちは庭の隅で生き延びていた。 台湾ホトトギスを表庭の西寄りに(車庫で西日が遮られる)、ホトトギスを玄関脇のプルーンの木の下に植えたが、別段考えがあってのことではなかった。 夏の終わりから早々咲き始める台湾ホトトギスは、花も小ぶり、近くで見てもかわいらしい。秋遅く咲くホトトギスはその植えられた場所ゆえに、近寄って眺められもせず。花も大きいし、点々もはっきりしているのが遠目でわかったので、なおさら今までマジマジ見る気にならなかった。ホトトギスは白地と知って、ほんとかしらと、デジカメを持って今日やっと確かめに出た。 半日降り続いた雨は秋雨と言うには暖かすぎた。風も、なまなまと腑抜けている。こんな日は季節の勘が狂う。ホトトギスはミョウガの後ろに隠れるように、ふたつほど開いていた。やはり図鑑で見たとおり、白地に紫の点がくっきりと浮かぶ。台湾の方はこの点が滲んで地色に溶け出したようだ。(写真上がホトトギス、下が台湾ホトトギス) 納得して、ホトトギス撮影は終わり。狂った勘ついでに、庭で春探し。枯葉を無視して新芽探し。あるある、ハーブにも、ルピナスやデルフィニュームにも。茎に恥ずかしそうにしがみ付く新芽、初々しい柔らかな食べちゃいたいような新芽。可愛くて、くすぐりたくなるけど、我慢。 細い針金のような茎はイカリソウ。いつもは茂った葉で見えなかったが、雨で束になった茎が現れた。地際近くの茎に白い芥子粒のような物が付いている。新芽にしては変だ。何かの卵?怖い物見たさで1本引き抜く。芥子粒には足があって茎から生えていた、キノコだ。気持ち悪いを通り越して感動。針金の茎に真っ白な極小キノコ。寄り目になるほどしげしげ見つめている私は、庭で大きくなった「不思議の国のアリス」みたい。 |
10月17日 火曜日 |
あんまり娘がケラケラ笑うものだから、傷つきやすいガーデナーは落ち込んだ。大きな花をつけてメアリーの細い茎がしなう、それがかわいそうだったので、竹で支柱を作った。玄関先の黒竹、こんな役立ち方をするとは、夢にも思わず植えた頃は、この子がまだ母という支柱にいつも寄り添っていた昔。 「竹って言うのが、なーんかねぇ、和洋折衷じゃなーい?」ほう、いつ和洋折衷なんて言葉覚えたんだ?ああ、最近、漢字検定受けてたな。「それに、この上のは何?へーんなの。」・・・・。いつか洋書に載っていた写真の真似よ、なんて言ったら「まねしーまねしー」と囃し立てるぞ、きっと。 真似したくたって、できない事の方が多いもん。欲しい物もほとんど我慢している。たとえば、バラを這わせる石の壁が欲しい。それから、バラのアーチをたくさん並べて突き当たりに古い彫像を置いた100メートルほどの小道も。庭で経済活動する気はないので、果樹園はいらない、でもブナの原生林は欲しい。湖は小さくていい、ボートに乗って一周1時間。夕日が落ちるのを見る為に、岩場はいらないけど砂浜。伊豆の春と京都の秋と九州の冬と、もう少し長く信州の夏を。神様お願い。 |
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