2000年5月後半日記
5月26日 金曜日 |
毎朝忘れてはならない作業のひとつに、花がら摘みがある。萎れてクシャクシャになった花をそのままにしておくのは哀れだし、だいいち種になってしまえば、花はもう一仕事終えた気になって、とたんに花付きが悪くなる。せっせと花がら摘みに勤しむ姿を、内心花たちはあこぎな奴と思っているかも・・・・。 それがうっかり、蕾の付いた花茎をつまんでしまった。そのまま捨てるには忍びなくて、まだ朝露に濡れている花や、ハーブの葉っぱなどをかき集めて、小さなブーケを作ってみた。 我ながら珍しい事をする・・・作ったブーケをガラスの水差しに入れながら思う。どんなに庭に花があっても、さて家に飾ろうと鋏を握る気になれない。咲くとそこが約束の地、もう足す事も引く事もしてはいけないような気になる。去年見事に咲いたシャクヤクは、モミの木の枝と山吹の繁みに隠れて。ふさわしい花瓶を与えて賞賛の眼差しを注がせたい、そんな気もしないではなかったが。結局、私との密会を重ねただけ、そこで静かに花びらを散らした。 今回は断腸の思いで・・・と言うのはオーバーだが、なるべく草の陰になっているような、込み入りすぎているような所を選んで、それでも元気の良い咲ききっていないものを頂く。どの花もやさしい野の花の風情、手に取るとほんの微かだが甘い香り、そのあまりにも繊細な美しさに見とれた。(写真は今朝のモッコウ薔薇と皐月) |
5月24日 水曜日 |
日に日に成長する草花。だんだん土が隠れて、相棒の言う所の「ムサクルシイ庭」になっていく。もっとも、私はこれでもまだ足りない。むせかえるような緑で暗いほどの庭にしたい。 少しずつ蕾が開いていくと、それをお目当てに小さな虫たちも寄ってくる。虫の名前には疎いが、ミツバチや足長蜂くらいはわかる。時々ギョッとするような大きな太った蜂はクマンバチか。シロヤマブキを空に舞わせたような蝶々、黒く光るアゲハチョウ、yukikoOさんのHPで見たとおりのヒラタアブが飛んでいるのを発見。テントウムシもいた。いいぞいいぞ、その調子。でも、黒い羽にお腹がオレンジの虫が薔薇にくっ付いていた。嫌な予感がしたので、すぐ取ってつぶしたけど。 夜、お風呂上りに庭に出る。辛うじて寒くない程度。小さなガーデンライトひとつでは、宵っ張りの虫の様子はうかがい知れない。星も見えないどんよりした空の下、大地に満ちているのは低く荘厳な合唱。何千ものカエルの鳴き声が重なりこだますると、闇の中から生まれる新しい命を寿ぐ音楽になった。(23日夜) 昨夜の雲の逃げ残りか、霧がお向かいの屋根あたりで流れているのが見えた。手に取れるほどこれが下がると、本当の夏の朝だ。お日様は隠れていても、このしっとりした空気が気に入って宿根アマは咲き始めた。土には十分湿り気があるので、お隣のプリムラ・ビアリーも御機嫌麗しい。(24日朝・左写真) |
5月19日 金曜日 |
タ・ニ・シ?妙なイントネーションに一瞬意味がわからず聞き返すと、ああ、なんだタニシか・・・・。じっと池を覗き込む、勘違いの我家のナルシスよ、あなたは大阪生まれだったわね。 さすが工学部言語学科卒(うそ)。普段きれいな標準語を話す人だけに、こちらの驚きと笑いが止まらない。子供の頃にしか使わなかった言葉が不意に出た、昔に刷り込まれたとおり、素直に発音したわけか。 10匹居たはずのメダカが7匹しかいない、今朝もトカゲが入水自殺している、イマイチ水が澄まない、などとブツブツ言ううちに小さな黒いタニシを見つけたらしい。なんとなく照れくさそうな表情の相棒を見て、そんな何十年も使われない言葉があったのかと、そちらに感心する私。 そうかもしれないなぁ。言葉も、決してまんべんなく使われているわけではない。知っているのに何年もこの空気を震わすことなく、深く胸のそこに落ちたままの言葉、或いは感情。 ある日、思いがけず、すくい上げられ陽の目を見た、忘れられていた言葉やその感情をいとおしみ味わう。人生にはそんな日もある。 |
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