2000年2月前半日記
2月14日 |
初めて春の匂いを感じた日、家に帰ると黄花節分草(左写真)が顔を出していました。どんなに早くても3月にならないと現われなかったのに、今年は気が早い事。去年スノードロップに先を越されたのがよほど悔しかったのかなぁ。 春の匂いは埃の匂いが混じります。今までそっと沈んでいた魂が浮かれて巻き起こすのか、或いは一気に羽ばたき始めた春の妖精の鱗紛か、少々毒気の混じる妖しい匂いではありませんか? 肌がうずうずして、もやもやした気分、頭がボーっとなったら気をつけないと。ただの花粉症と馬鹿にしたらいけません、ほら、春の毒気に当てられたのかもしれません。 目を覚ますのは節分草ばかりではないでしょう。庭の隅で、ウトウトしているキューピットは気まぐれに目を覚ますんです。あなたがため息をついたりしたら飛び起きて、起こされた腹いせに、復讐の弓を放つんですって。そしてその矢があなたの胸に命中すると、もう一生誰かを、恋焦がれなければならなくなるの。昨日一日、暗い家の中で歌曲の訳詞に辞書と首っ引き、頭を悩まして覚えた事よ。エヘヘヘ、芸術って楽しいなぁ。 ああ、それにしても朝夕の風のなんと意地悪く冷たいことか、昼にはこんなにも悩ましく、人の首筋を掠め取る柔らかさなのに。 ・・・?、すっかり毒気に当てられたのは、私かしら。 |
2月11日 |
夕方5時過ぎ仕事を終えて家路に車を走らせる。ライトを付ける車はいない。このまま家に帰りたくなーい、ってのは嘘だけど、随分明るくなったものだ。水蒸気の上がる湖を逆さにしたような空が見えている。 車がまだ平地を行く間は、枯草色の林にぼんやりと緑の下絵が透けるのが感じられた。柳の細いむちにも、その色が映っている。やがて、ギアを一つ落とした頃から季節は一つ戻ったようで、チラチラ白いものも舞いだした。 うわのそらで運転しているわけじゃないが、思うともなく昨日の続きの幻想を追う。もちろん庭のこと。そこからリンクしている事へ。車は坂を上り詰めると緩やかな直線の下り坂、ここで調子に乗ると、その先、時々待っててくれるお巡りさんに、「はい、いらっしゃい」ってなことになります。来週は免許の更新に行きます、無事故無違反のまま書き換えられるように、楽しい妄想の続きは家に帰ってから。 |
それにしても、負けられないホワイトガーデン(おいおい)。イメージを現実のものにするために、今のうちに具体的な植物選定をして、設計図を作成。その後に、移転を余儀なくされる植物の根へ、説得と補償を。 いきなり力仕事に入ったのでは、行き当たりばったりになり、この難しい計画は五里霧中になってしまうだろうから。 実はホワイトガーデンの予定地の大幅な変更をしました。はじめは日当たりのよい一等地、現在はミニ池のあるところ、池を壊して、と思っていた。ところが、花数を少なくしたい事、たっぷりとした濃い緑が必要な事、加えて、斑がきれいに入る環境が必要な事、を思ったら、やや暗めの環境がよいだろうという事に。全くの日陰というわけではないが、午後早く日の翳る生垣に沿ったモミの木の後ろ、シェドーガーデンから続く一画、こちらに決定いたしました。(池跡地の計画はまた、追々) バイカウツギ、柏葉アジサイ、ガウラ(すべて白)がもともと居る所です。モナルダの赤とピンクは移転、白だけ残そう。ちょっと密植だったし、彼らにとっても悪い話じゃない、うんうん。悪いけどピンクの芙蓉にも立ち退きいただこう。フム、彼女にとっては3回目の引越しか、生まれついての流浪の民だったんだなぁ。これであの場所、色の付いた花はないぞ、いいぞいいぞ。考え様によっちゃ、昨秋、赤や黄色の菊が枯れたのはまさに天の思し召しだったかも・・・・。これで空いたところにホスタ、斑入りアイリス、白百合は今から地植えは無理か・・・ならば、花のついた鉢植えを買ってきて、これはポイントになるから、コンテナも素焼きの鉢に自分でペイントしよう。おねだりしてラティスを作ってもらったら・・・、忘れちゃいけない、白薔薇も這わせなくては。 |
・・・・どうする?もう、ワクワクしてきた!! |
2月9日 |
冬の定番である縦じまの天気図は意外な事に西からやってきた。雪だ、風だ、と怯える声が聞こえても、にわかには信じがたい、昨日の明るい穏やかな朝の空だった。しかし、日が傾くにつれて、頭上は低く陰気に、まもなくここは、雪雲の中に入り込んでしまった。はじめは細かく煙り、やがて向こうが見えない、見えるのは雪ばかりの潔い降りに。そのまま夜に落ちて、確か浅い眠りのうちに、何回か遠雷の音を聞いたような気がする。そして朝、もう一度やり直そうと言うように、白く、すべてすべて隠された庭。 どうしてホワイトガーデンに心惹かれたのだろう。モノトーンのこの季節に。色とりどりの夏を夢見ず、なぜ緑と白だけにこだわるのだろう。 庭には様々な多年草が根付いている。それぞれ、その時々に吟味して場所を選び植えたもの。花が咲けば懐かしい記憶が蘇る。悲しい事も思い出す。忘れたいことさえ振り返る。それなら庭の一角にそれら雑多な想いを葬り、清める場所を作ろう。 白は別れの色、始まりの色、未知なる物への憧れの色。色に疲れた眼をそこで洗おう。ピンクやクリームの混じらないすっきりとした白。ふわふわと漂わない、決然と落ち着いた白がそこには必要だ。そしてそれに負けない深い緑も。花数はなるべく少なく。グレイがからぬ葉を持つ、真っ白な薔薇と百合。それと芯まで白いジギタリス。縁に、はっきりと班の入るホスタ、剣のように鋭い斑入りのアヤメ。求めるものは、霞の白ではなく、雪の白。 庭の一角が祭壇のようになってもいいじゃない、むしろ恐れるので曖昧になる。夏の強い陽射しにも負けない強烈な白と緑のコントラスト。明るく賑わう夏の庭のなかに、不気味な静けさを漂わせられたら、どんなに素敵だろう。 光の具合や天気がどうあろうと、聖地は常に美しくあらねばならない。そのために孤独に全力を傾けるのが真のガーデナー。 |
2月6日 | |
花の蕾を見つけたのも束の間、重い雪が枝をしなわせる、その冷たさが我が足を、伸び始めた芽もすくませる。空っぽの空から、容赦なく陽射しは雪に反射し、目をくらませ肌を痛める。太陽が雲に隠れたら、ガラス窓に頬を当て、火照りを静めて、ため息。 |
2月4日 | |
昨日の夕方、裏窓からの景色に、忙しさを忘れて立ち止まってしまいました。年に一度か二度、草刈りされるだけのほったらかしのこの土地は、夏になると葛の天下。知らない人は、ここは何の畑ですか?と尋ねるほど。見事に生い茂ります。それはすごい勢いで蔓を伸ばすので、時に隣人からいまいましい目を向けられるのですが。 そんなことは露知らず、彼らは晩秋になるとおとなしく霜にやかれ、少しはススキに場所を譲ると、冬には柔らかく大地に伏していきます。野良猫しか通らない、こう言う所にこそ、あの「大地の精」が住んでいるような気がします。 夕焼けから火をもらって焚き火をしているノームを見たような気がした、夕暮れです。 |
2月1日 | |
2月が春か冬か、カレンダーをめくりながら思うともなく思います。各地から聞こえ始めた春の便り、カレンダーに見える立春の文字。でも、と納得いかない寒暖計の目盛り。玄関は3度。朝日が昇る直前が一番の冷え込み。 東に長く白い裾をひいて、遠慮がちに現われるようになった夜に喜んだり、力を戻す光の強さに勇気付けられても、心配事の多い月です。冬中寒さに耐えた枝が雪の重さに折れたのはこの月。秋に掘りあげて、鉢植えで大切に管理した宿根草が、突然萎れて枯れたのもこの月。そういえばうちの金魚が死んじゃったのもこの月だし、友達の亀が冬眠から少し早く目覚めたばかりに、凍え死んだのもこの月。 真っ先に庭に姿を見せるスノードロップはあんなに可憐なのに、イギリスでは摘んで家に飾ることはしないそうですね。経かたびらを纏った死者のように見えるからとか。 気まぐれな南風が悪魔の吐息に思えても、不吉なことは忘れよう。どうぞ穏やかに春を迎えられますように。 |
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