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2000年1月日記

1月30日
クリスマスローズの花芽 静かな午後。雀がシャラの木の落ち葉をかき分けて、夢中でなにかついばむ音、どこからか聞こえてくる雪解けの雫の音、時折ザッと屋根の雪が落ちる音。石畳の上の雪はすっかり消えた、小さな虫も飛んでいる。暖かいから出てらっしゃい、呼ぶのは誰?
頭の中は春からの庭造りの夢と計画が、なだれの危険を孕んで、幾層も重なっている。少しは現実を御覧なさいと、庭の妖精が呼ぶのか。
無謀にも、この辺から芝を剥がそうと、シャベルを地面に突き刺してその固さに驚いた。冷え切った大地は、とても私の手に負えるところではなかった。まだ2ヶ月早いな。
凍った池の上に片足乗せて遊んだ後、わずかに残った雪の上をわざわざ好んで歩く。ザクザクいう音だけか・・・。ズボッとひざまで沈むと、バランスを崩して転んだ、あの感覚が味わえないのはつまらない。いきなり顔に雪の平手打ち、でも体を柔らかく抱きとめられて、背中に感じる陽射しの暖かさ、ふっと眠りたくなるようなあの感覚。忘れられない。
雪で割れた茎の間から
顔を見せたクリスマスローズの花芽
1月28日
たぶん、この冬一番の冷え込みではないだろうか。目覚めて、これは、と思いました。夢の中でもゲレンデにいる私でしたが、起きぬけの体は縮み上がります。一日火の気のない玄関においた寒暖計の目盛りは1度。
今日から始まった寒中休みのおかげで、お弁当作りがないだけ助かった、と立った台所の寒いこと寒いこと。小さな明かり取りの窓は結露が凍って羊歯のような模様を描きあげていますが、なんでここだけ二重窓にしなかったのだろう・・・と冬になるたび思います。この家で13回目の冬。
日の出の早くなった庭をそっと覗くと、カクレミノの葉は煮過ぎた昆布に、こんなに痛めつけられても日が差して温度が上がると、元通りの緑の葉に戻ります。寒地で元気な数少ない常緑広葉樹。ただし、風には弱いですね。
雀が舌打ちするたびに小さなくちばしから白い息が出るのが可愛らしい。今朝は一生懸命リンゴを突付いているけど、凍ってないのかな。
ところで玄関に置いたのは最高最低温度計です。ドイツ製でマホガニーの台がおしゃれだと買ったはいいけれど、どこに掛けようかと、うろうろしていると。「どこの温度をしりたいの?」「決まってるでしょ、庭よ」言ってから、しまった。ばかだね、あたしは。ほーら、嘲笑の嵐が来るぞ〜。「では、地上高120cmに50cm四方屋根付きで素材は木の鎧戸、塗装は白、正倉院みたいなのを作って入れるんですね。」「よく知ってるなぁ、さすが工学部卒!」「小学生の知識です」「フォーカルポイントとして悪くないねぇ、買ってこよっか。」「売っていません、自分で作りなさい、でも大きいですよ」「ミニ百葉箱っての、どう?」「だめ、世界基準です。」・・・ウソ言え〜、もうあんたとは喋りませんよーだ。
1月26日
忘れられたリンゴ 去年より我が庭に訪れる野鳥が少ない。ウメモドキやカクレミノの実はあらかた食べられたが、庭に置いたリンゴへの食いつきはもう一歩。私がかじっても今年のリンゴの固さは物足りない。秋口のだらだら続いた暖かさに甘やかされたリンゴだ。鳥たちは、なかなかの食通なのか、それとも山にも畑にも彼らのご馳走が雪に埋もれず残っているからだろうか。
そんな私の寂しい気持ちを察した、わけでもないだろうが、レッスンに来た生徒がいきなり興奮してしゃべるには。彼女の家の裏は雑木林、キノコや山菜の宝庫だった昔の、このあたりの面影を色濃く残す一角は台所の窓から見渡せる。そこで彼女とその母親が見た、小さな顔の真っ白な細長い動物。子猫とも違う、リスとも違う、小さな動物がジッとこちらを見ていた、と言うのです。なんだろう、なんだろう、とかなりヒートアップしてるので、ついこちらも、それはオコジョじゃなーい?と。彼女は、まさかぁ、すごーい、そーかなぁー、ありったけの感嘆詞で答えてピアノに向かえば、あの、これは練習してありません。・・・急に冷静にならないでくれ・・・・・。
トチトチ始まったピアノを聞きながら、会いたいなぁ。目と目があったらドキッとするだろうな。いきなり道に飛び出したリスに驚いたのはもう何年も前だなぁ。また散歩に行こうかなぁ。
1月25日
もうすぐ2月、知らぬ間に地温が上がっているのでしょう。庭に積もった雪があっさりと溶けてしまうのに、拍子抜け。それでも今朝はこちらで言う「凍みる」寒さ、恐る恐る足を運ばないと雪のない道に足元をすくわれます。暗い空を映して、どこかで発掘された古い鏡のように光る道です。滑ったら・・・痛いぞー。
こんな日は家にいるのが一番。寒くて庭へも出られないし、練習、練習。さしあたって本番もないし、今のうちに新しい曲を。弾きたかったけどなんとなく先延ばしにしていた曲に向かうと、始まったばかりの恋の気分。すべてのフレーズは新鮮で、心溶かされる。このメロディに命を吹き込むのは私だと誇りたい気持ち。しかし分かっている、それがほんの一時の蜜月の幻だと。知るほどに奥深く、一筋縄ではいかない気難しさにやがて苛立つことを。でも信じよう、いつかしみじみとこの曲に出会えたことに感謝できる日が来ることを。1年先か2年先か、その時、庭には何が咲いているのだろう。
1月23日
雪の朝 日曜日、お寝坊をして、やっと7時過ぎにパソコンに向かいます。見なくとも分かっている庭ですが、障子に金色の朝日が映れば、もう 泣く子と地頭には勝てぬ ・・・です。テレホーダイの貴重な時間も忘れて、デジカメをもって外に出ると、今まさに太陽が山並みから顔を出すところ。ため息の出る美しい色。昨日のドッカーンと現れた赤い月といい、ちっぽけな人間の悩みなど笑い飛ばしたくなるスケールの大きな自然に感動です。
昨日一日晴れたのでずいぶん嵩の減った庭の雪。いつも庭に我が物顔で出入りしている、あの猫の足跡でしょうか、きちんと、見えない小道の上に残っているので、ちょっと感心したりして。
新雪に乗る空の青さがブランデーを燃やすように見えたり、月明かりが雪の肌に、そっとくちづけたように見えたり、そして今朝は花嫁のドレスのように見えます。汚れていくのは見たくないなぁ。
1月21日
雪 今朝7時の積雪は15cm。2時間経った今も静かに降り積もります。昨夜9時過ぎには道はカラカラ、ただし消えかかる線香花火のような、心細い雪が車のライトに光るのは見えていました。本格的に降り出したのは、この積雪量から考えて朝方からでしょう。
丸二日、雲ひとつ無い晴天が続きました。夜には大きな丸いお月様が見られました。昨日は強い南風が吹きました。もう雪を待つのは止めようか、いっそこのまま春になってくれるのを願おうか。ご近所でフキノトウが顔を出したと言うのを聞いて、そう思った矢先でした。
雪かきには3本のスコップを使いまわします。持ちてが木で極軽い物、プラスチックのスコップの先に補強のためか金属のついてる物、ハンドラッセルというスコップの部分がお碗のように丸い物。軽いものは新雪向きだなぁ、積み上げるには普通の形のものがいいね、ラッセルは雪が生き物のように丸まっておもしろーい。一日目の雪に嬉々として雪かきにいそしむ私です。溶ける凍るを繰り返した重い雪は・・・お願いね。明日はあなたの番よ。
1月17日
雪だるまが並んだ天気予報。なんだか昔話の傘地蔵のようだな、と思ったのは先週。それがいつのまにか消えている、追うほど逃げる恋人か。約束の場所に現れず、また今度ね、なんて言葉に淡い期待をいだかされるのか。相変わらず雪のない庭。
昨日の日曜はパソコンをあっちへ運んだり動かしたり、ダンナと息子に部屋中占領されて、足の踏み場も無い。それでもリビングから離れないのは庭全体を見渡せるこの一等地で、じっくり庭造りの計画を練るため。
一人背を向けておとなしくしていると、「どう?ぼくの気持ちわかった?」不意に変な事言うじゃない。?。「昔よく、ぼくもそうして眺めていたでしょ。」・・・・・。そうだ!そんな時、ねーねー何してるの?どーしたの?ってうるさく聞いたっけ。
やっぱり横取りしたんだな、悪いなって気分。そうかそうか・・・キミも庭仕事の仲間に入れてあげよう。やさしく、「一緒に庭仕事しよっか?」と聞くと、「や〜だよ。」・・・あ〜?「ぼくは庭を見て哲学してたんだ、誰かさんと違って、もっと高尚なこと考えてたのぉ」・・・このやろー、言ったな。
いいよ、教えてやんない。池はつぶそうと思ってること、白薔薇と白い花ばかりの一画を造ろうと思ってること、そしてそのための強制労働に狩り出される、というキミの運命の事も、今は黙っていよう。
1月15日

天気予報に雪マークが戻ってきた。来週は降ったり止んだりの毎日になるかもしれない。半年ぶりに庭に戻ったガーデナーがいるらしい。何を好き好んでこの時期に、しばしの別れを告げようと言うこの時期に、と北国の人間はひがんでいる。
今のうちに土の庭を瞼に焼き付けておこう、とようやく明るくなった庭を見る。モッコウ薔薇の葉が少なくなっている、無理に落とさずとも時がくれば一つ二つと枝から離れるのはその木が元気な証拠。
モミジは死んでしまったか。縮れて茶色くなった葉は枝にくっついて離れない、取ろうと枝に触ると、いとも簡単に折れてしまった。夏の終わりに早すぎる紅葉を面白がっていたのが悔やまれる。あれは夏の思い出に身を焦がしていたのではなかった、助けてのサインだったのに。愚かなガーデナーを笑うか、泣くか。このように人生の花も枯れ果てる、空から星が消えるように人生の希望も沈み果てる、愛の薔薇も死に果てる。
シューベルトの白鳥の歌を繰り返し聞いている。

2000年1月9日
霜柱 「一粒の麦、地に落ちて死なずば、唯一つにて在らん、もし死なば多くの果(み)を結ぶべし。」ジッドの自伝のタイトルにもなった、この新約聖書の一節を辛い冬のなぐさめに、と思っていたのに。
暖かいですねぇ、という隣人との挨拶の中、ホッとしたニュアンスと共にどこか期待はずれのような響きを感じるのは私だけかしら、病人の看護疲れにも似たこの不思議な少し後ろめたい感覚。やはり約束の道筋を辿り損ねると、心と体に変調を来たすのではないかな?人間も植物も。
もちろん、風邪も長引かないし、今年初めての苗は安心だし、雪道の運転の怖さもないし、雪かきで腕は痛くならないし、良い事はたくさん。こんな冬なら楽チン、でもこれでいい花が咲くのかしら。
まだ冬を待っている。春を心底恋しく思える冬を。暖かい空気の中で溶けない霜柱を見て、ちぐはぐな気分の今日。
霜柱

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