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1999年10月日記


10月28日

イカリソウ 最後となったデルフィニュームの花を切りに、庭へ出ると風は生暖かい。モワモワに掻き回された雲が忙しく流されて、青空が太陽が慌てて顔を出したり引っ込めたりしています。
モミの木の下で、この前の霜から辛うじて身を守った八重咲きインパチェンス。ほりあげて屋内に取り込まねば、と思っていたけれど、この暖かさならもう少しここで花を見たくなります。いけない出来心とは分かっていますが。
コリウスのすっかり霜に焼かれた姿は確かに哀れ、これはもう抜きましょうか。来年はここに何を植えようかと見つめれば、となりのラベンダー、ゲラニュームなどが窮屈そう。・・・そういうことか。
霜に当たっていよいよ元気なラムズイヤーやリュウノヒゲ。タイワンホトトギスも最後までこの庭を照らしつづけるつもりで、燭台をかかげ続けています。ドウダンツツジの紅絹裏のような鮮やかな色、そんな暇もないのに、着物が着たくなります。これだけは好き、と言ってくれた久米島紬は着れば確かに働き者の女房に見えるから不思議。こちらは幻の秋です。
イカリソウも色付きます

10月24日

霜の降りた葛の葉 弱いと言えども霜は霜。初霜です。この程度ではまだ寒さ嫌いの植物も直接の被害は被りませんが、霜を履みて堅氷至る、これから気を抜けない毎日です。そういえば昨日は午後から晴れ上がり、夜、寂しい田舎の駅で迎えの車を待つ間、震えながら見た空に月は晧晧、唐松の黒く尖った先が高い空を指していましたっけ。当てにならない霜注意報を待つより、我が五感を磨きましょう。
写真は我が家の裏庭(エヘヘ、実は人様の敷地、家が建たないのをいいことにそう呼ばせて頂いています)葛の葉に霜。

10月22日

シュウメイギクの花びらが散った煉瓦道
蜂蜜入りの熱い紅茶を2杯飲んでも体が温まらない朝。雲は低く乳白色のもやになって庭に降りている。雨に濡れたように色をかえた白木のテーブル、閉じられたままのパラソルが夏の墓標となる。苔むした煉瓦道に花びらが撒かれても菊のない庭は寂しい。
昨年あんなにも暖かく11月の庭を彩った小菊は夏の終わりにことごとく枯れてしまった。アブラムシがたくさんたかっているのは知っていたが、ぞっとするな、と思っただけでつい処置を忘れていたのがいけなかった。牛乳をかけたり気分が悪くなるほど手で潰したり、去年はやったのに。今年は園芸店の店先のポットマムを見るたび胸が痛む。
でも手抜きが、たまには項を奏することもあって・・・。9月にビオラの種をまいた。3週間しても芽が出ないので、これはダメかとあきらめた。すっかりカラカラになったその土にそのままネモフィラの種を蒔く。寒冷地は春に、の種袋の表示は無視して。すると今度は1週間もしないうちに芽が出て、おまけに、みにくいアヒルの子みたいに違うのがいるぞ。あら〜?と思っているうちに鬼っ子は4本。ビオラとネモフィラの寄せ植えが出来ちゃうな、とニンマリ。

10月19日

あけび 家に戻っても体中むずむずしている、眠っていた細胞がいっせいに起きた。魔法の泉の水を飲んで若返る時はきっとこんな感じだぞ。
歩くとそれだけ頭もよくなるしピアノも上手になるよ、と訳のわからない口車に乗せられて、平日の午後に一時間の散歩はまるで退職者気分。いやいや、これが自由業の醍醐味でしょう。確かに曇り空、紫外線の心配もなく、体は温かいのにほっぺはヒンヤリ。散歩には極上の天気でした。
2週間前には生い茂っていた草の勢いがすっかりなくなり、林はずいぶん奥まで見通せるようになりました。残っている木の葉も風が吹くたび乾いた音をたてて落ちていきます。もう少し経てばこの林の向こうに山が見えるはずさ、と言う声を聞きながら、野ウサギが駆けていく幻を見ています。
山に所々紅をさしたようなうるし、終わりかけの野菊、大きなアザミ。こういうものは山にあるのが一番ね。そうそうアケビもありました。誰かさんはわざわざ買ってお庭に植えましたね、でも実はなりませんね。ここにあるのを知ってたら買わなかったでしょうね。もちろん。
散歩途中に見つけたアケビ

10月15日

メキシカンセージ 雨は庭に残った甘い香りを鎮め、花びらの落ちた煉瓦道を掃き清め、その冷たさは心の肌までしみとおる。ビロードの紫のセージが咲き始めた。私もそろそろコットンのセーターは止めにしよう、柔らかなカシミヤや微妙な色合いのツイードが恋しくなる。
秋の庭はいよいよ最終章、プレストで駆け抜けるのか、だろうな。コンダクターは忙しいはず。池の生き物は?水は?寒さに弱いあの子たちはどうする?生まれたばかりの小さな苗は?枯れたものを整理して、すっかりお掃除して籾殻の布団をかけるまで、ほーら感傷に浸っている暇はないよ。
でも今年はもう宿根草の株分けは済ましたんですねぇ。エッヘン。株分けでできたポット苗は30以上にもなりましたが、ご自由にお持ちください、と書いて家の前に置いておきました。人通りはそれほど多くないのですが、生徒のお迎えに来たお母さん、犬の散歩のご主人などが持っていってくれたようで1週間できれいになくなりました。

10月11日

池の辺のベニチガヤ 秋の日はつるべ落とし、というけれどその短い時間だからこそ、刻々と変化する空の色や光の当たり具合などに振り回され、夕暮れ時の寂しさから目を背けられるのかな?。夏、昼でも夜でもない時間が長く続くのは、地上のけだるく火照った体温を冷ますのに必要だったろうが、今ではストンと夜に落ちてくれなくては侘しさばかりが募って気が変になるかも。
向かいの家の壁が強い調子のオレンジ色に染まると日は真横からさしている。落日のめらめらと燃えるような光に照らされて、ススキは風に揺れ金色の埃を舞い上がらせる。それは綿毛か虫か、どちらにしても幻想的な美しい風景。冬、立ち枯れて哀れな姿を野にさらすススキの群れも、ここではまるで天から落ちた金の王冠。
空は茜色。手のひらまでが赤く染まっている。そう思ったのも一瞬、照明はすぐ落とされる。庭はやっと輪郭がわかるだけ、じっと目を凝らすと瞼の奥が痛くなった。
ベニチガヤは夕焼け色、
秋にこそふさわしい色

10月7日

ヒオウギの黒い実 雨の音、朝6時前、夕方のように暗い部屋。昨夜からずっと降っていたのか、朝方からなのか、聞こうにも誰一人起きていない。これから毎日朝が辛くなる、この程度で音をあげていてはけない、と自分を叱咤激励しての起床。時々こうやって朝ぐずぐず布団にもぐっていたい時がある。天気のせいだな、きっと。
一時間もすると空は白々としてきたが、雨はますます強くなってきた。「今日はあれもこれも、荷物がいっぱいあるの、だから乗せて行って」・・・うわぁきたか。わがまま娘め。さっきやっと上の息子に、駅までバスで行きなさいと言いくるめたところなのに・・・。
またそうやって甘やかす・・・と言いたそうな今頃起きてきたダンナの寝ぼけ顔に見送られて、外に出ると金木犀の匂いが。
毎年自然に出てくるのだろう、道端のコスモスや白いアスター、満開の花は雨で地面につきそうに伏せてしまっている。一雨ごとページをめくるように表情を変える自然。取り残されたり、先走ったりしながらも確実に年を重ねていくのを感じる季節。
花房そのままに茶色くなったアジサイ、黒く光るヒオウギの実、落葉する力も無く終焉を迎えそうな枯れたもみじの葉、今華やかなのは金木犀の香りだけ。
ヒオウギ

10月2日
今年もうちの紅葉はダメです。茶色く葉先が縮れてまさかこのまま枯れるのか・・とても心配。放っておいていいのでしょうか、夏場もっと水をやるべきだったのか、私が買ってきて私が植えたモミジ。何とか復活して欲しい。そのモミジの足元にはやっと咲いた白いシュウメイ菊。瀕死のモミジの横でのんきに天を仰いで陽光を独り占めの顔。その横の金木犀は様子見に幾つか咲いた後は、はじけそうに膨らんだつぼみを蓄えたまま、遅いなぁ。そういえば山のマツタケもモミジも今年は平年より2週間ほど遅いらしい。ということは、冬になるのも遅い?
あらあら?早春の花のはずが、プリムラとスミレ(ヒゴスミレ?)が可憐な花を咲かせています。遠い国の異教徒のようにひざまずいて、花に口づけするように確かめると、プリムラは甘くスミレはすっぱいほのかな香りです。

ヒゴスミレ 虫食いだらけの黄色いプリムラ
写真ではよくわかりませんが
切れ込みの入った繊細な葉も綺麗
よほどおいしい花なのか、
葉も花もすぐに虫にやられてしまう・・・・

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