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2000年2月後半日記

2月28日
今日で2月も終わるところ、今年はもう一日オマケの閏年、私も極楽に命の漂うような授かりものの一日に感謝。ゆったり足を伸ばして温泉に浸れるだけで十分、それ以上は何も望んで行かなかっただけに、思いがけず趣のある宿に巡りあえた喜びはひとしお。真夜中の野天風呂はわずかな灯りと湯煙にかすんで、雪を被った灯篭も周りの木々もぼんやり美しい。洞窟のように見える真っ暗な隠れ湯もある。見上げると雲間からこちらを覗くのはいくつか星だけ。冷たい空気でいつまで入っていても、のぼせない。冬は何といっても露天風呂。

朝にもう一度入ってみると、名残のモミジがすっかり色を抜かれてお湯に漂う。葉脈の浮き出た白いもみじの葉を見て、私もずっと入っていたら、こんなふうに綺麗になれるかしらなんて、・・・まさか。

枯葉がしっかりと木についている柏、今まであまり良いと思わなかったが、お湯に浸りながら聞くには、新芽が出るまで、ああして木に留まるのは、後継者が育つまで木を守るという事で縁起の良いものとされているとか。さすが、さすが人生の先輩。私より一回り二回りも上のご婦人は何でも広く深く物事を知ってらっしゃる、お湯から出てもジンワリ汗のにじむような事もさらりと言ったりします。

植物談義に話が及ぶと、来た来たと嬉しくなるのだが、農家の方が多いので野菜系の話し・・・バラは出てこない、残念。田ナスといって田んぼだったところに作るといいナスができるとか、いやダメでしたという声には、ならば冬中水を張っておくと悪い菌が死ぬからいいとか、プロの世界だぁ、とポッカ〜ン。

驚いたのは炊いたプルーン。水は入れないで砂糖(プルーンの半分ほど)と火にかけ沸騰寸前に消すことを一週間毎日繰り返す。柔らかくこってり甘いけど、傷みの早いプルーンを保存して食べる知恵という。よーし、今年やってみよう。
2月26日
まさかここにバラとは本棚から溢れかえった園芸書、同じような本をよくもまぁと言いたげな、相棒の冷たい視線など痛くもなかったが、雪崩のように落下してきた本の角に、したたか打たれたのは、痛かった。できるだけ図書館を利用しましょうと心に決めたのは先週。去年まではバラはお友達の庭と、お友達のサイトで眺めるものと決めていたので、我が家のライブラリーにはバラ関係は意外に少なかった。でもこうなったからには、学術的裏付けも必要だ。(なんだかよくわからんなぁ)

程よい写真と文字バランスの本を選べば、読むとこないじゃん、とイヤミな事言うよ。それでなくてもバラの名前って各国語が入り乱れて大変なのよ、あんたなんか読めないんだからぁ〜。Blanc Double de Coubert(ブラン・ドゥブル・ド・クーベル)白くて、どうやら二重のバラらしいと、ふーん、このくらいならわかるか。じゃ、紫燕飛舞(ツーエンフェウー)イメージ湧きます?どーだー、参ったか。すると、「君これ読める?」と線型代数の本なんて持ってくるな、ばか。あのね、それで、そのバラのイメージというのはね、と続けようとすると、少し静かにしてくれない?って。あらま。もうちょっとの辛抱ですよ、暖かくなれば言われなくても牢破りします。

図書館の本だけではない、サイトを覗いているうちに面白い事に気がついた。どうやらここでも私は逆さ、アマノジャクのようだ。普通はまずバラ在りき。気に入りのバラを見つけて、それを中心に庭造りが始まっていくらしい。このバラには何を添わせようかとか、主役から決めていくのが正統派。ところが私の場合は・・・・。ほとんど衝動買いのようにして手に入れた3本のバラも、冬に書き上げたシナリオの主役になれるか、なれないか、危ないところ。いいのかなぁこんな事で・・・・。脇役は大方決まっている、話の筋も決まりました、主役はオーディションで決めます、なんて宣伝広告費の割に、たいしたことのない映画みたいだ。大丈夫かなー、主役不在のまま幕が開いたりして・・・・。
でも懲りずに何本目かの筋書きは考えてる、さて黒竹(写真)に似合いのお相手は、どこかにいるかな?
2月25日
いつもより10分遅い朝食、時計は6時近くをさしている。今ちょうど明るくなるとき、レースのカーテンの向こうに、林と雪景色があぶり出しのように浮かび上がってきました。ここへ引っ越した当時は周りの家もまばら、林も山も無粋な電線に邪魔されず、広々と見渡せたのに。まあ仕方ない、住宅地の運命か。わずかに残った窓からのよい眺めです。

南北に長い列島、暖かい地方の庭虫たちがごそごそ這い出すこのごろ。(こちら座敷牢、つい言い方に棘)バラ苗も鉢植えのまま、藁で厳重に覆ってあるとはいえ、もしや根が凍っていたりして・・・・と、雪の後にぐっと冷え込む朝は心配。しかし、口を空けて牙をむく関所を通ってまで、庭に出て見ようという命知らずではありません。植え込みの輪郭も消えるほど積もると、さすがに猫も歩けないし、雀の降りるところもないので、庭は静かなまま、生クリームがゆったりと波打つ大海原(そんなに広くないか・・・)。

本物の生クリームたっぷりのケーキを食べたのは一昨日。テストが終わった「ご苦労さん会」を兼ねて今日しましょう、なんて自分がはやく食べたいからって、3日も繰り上げてお誕生会しちゃうのは、母親の特権。無邪気にケーキにぱく付く息子の顔を見ていると、津波のように思い出が押し寄せました。お母さんはいつもお仕事で忙しい、裸足で泣いて後を追うのをバックミラーが写すと、ぐっと胸が詰まった日のこと。お誕生日のケーキ、「ロウソクは何本ですか?」と聞かれて、手を引いた我が子に、「あんた何歳になるんだっけ」・・・店員さんに呆れ顔をされたことも。でも今年は知ってる、今日で16才。すっかり大きく、優しい子になったね。みんな口を揃えて言うには、父親似。そうだろうね。二人とも打たれ強い筈、両方厳しく育てましたから・・・・。
2月23日
部屋からツララ越しに青空長く伸びたツララ越しに青い空を見上げる。突然の明るさに目が眩む。部屋は監獄。「我輩は牢名主、一歩たりとも外に出られない。雪かきは、そなたに任せたぞ。」なんて言ってみたい。
厳しい冬の掟が緩むまで座敷牢で座っているのもよかった。そうも行かないのは、実は模範囚ではないから・・・。また雪道、車転がすの、怖いなぁ。そう思いつつ恐々出かけたのだが、一山降りるとあっけなく雪は消えている。道だけでなく、屋根にもほとんどない。いったい昨日の雪はなんだったの?青魚の背のように光る山並を見て思います。
そういえばツララなるものも平地では、とんと見かけない。私の幼い日の記憶にも、これほど長いツララはなかったように思う。昔は雪も多く、長野市内でも、子供の膝くらいは埋もれる雪がよく降った。かまくらをつくったこともある。それでも、ツララは珍しく、学校の行き返りに見つけると、折っては口に入れたっけ。・・・不衛生?高度成長期、人口着色料に人口甘味料が幅を利かせていたあの頃、大気中にもどんなにか怪しい物質が混じっていたかもしれません。今となっては、眉をしかめても、あとの祭りですね。
2月21日
気持ちばかりの立春が過ぎて、いよいよ氷も雪も融けようかという、雨水(うすい)は19日。毎日必ず降るが、拭うように雪雲が消えれば、みるみるしぼんでいくのがわかります。屋根の雪も、長く剣のようなツララの先から雫になって、そのうち我慢できずに落ちるのでうっかり軒下を歩くわけにもいきません。
モミの木の枝は陽射しに手を滑らして、ふっくらとした雪を落とすと、たちまち粉々に砕かれて、足元で遊んでいた雀を驚かせます。黒い土が喉を鳴らして、透明な雪解け水を飲んでいくのを、ぼんやりと想像する午後です。

部屋の中にはこのまえから咲いている、ピンクと赤のゼラニューム、眺めていると、どうやら仲間が欲しそうな様子、(これは勝手な私の推量だけど)。こんな事には心の声に素直なわたくし、花友達が興奮して話してくれた「温室の中は別世界、充実した品揃えと安さの店」へ。わざわざ行くんじゃない、帰宅途中の寄り道、と自分に言い聞かせるが、それにしても遠い。不案内な道でモタモタしてるのかなぁ、不意に追い越された。カッとなってカーチェイス・・・・はしません、大人だもん。

お目当ての温室に一歩踏み込むと、プリムラの甘い匂いが満ちている、あまり見かけないアズキ色に黄色がかったのもある。でもちょっと徒長しすぎ・・・。白い八重は香りもいいのでこちらを頂こう。おきな草やショウジョウバカマも花が咲いている。雪の下になっている彼らの仲間を思い、欲しいけど買わない。雲間草、真っ白を。とうとう去年、2度目の夏を越えられず枯れてしまったので、こんど庭に下ろす時は、とことん考えて場所を選ぼう。居間には葉っぱがミカンの香りというボロニアを。
千円足らずでお買い物に満足感を味わって、こんな幸せな事はないなぁ。着々とホワイトガーデンの役者は揃ってくるし・・・。でもまだ主役となる白薔薇を決めかねているのですが。カタログでなく、是非実物を見て、確かめてから手に入れたいので
2月18日
ゼラニューム 部屋の中で小さな花が咲きました。2度目の冬をなんとか乗り越えそうな、ゼラニューム(写真)です。霜の降りる頃に家に取り込み、しばらく寒い廊下に置かれていたのを、ここではあまりにもと、居間に移したところ、やがていくつか葉を増やしたあと、蕾をつけました。去年は暖かな環境に置かなかったので、ほとんど休眠状態で春を迎えました。温度があればいつでも花が咲くとは知っていたけれど、ろくに日にも当たらない所で、よくぞ咲いてくれました。
園芸店で見るふっくらと丸く厚みのある花びらと比べて、なんと弱々しく、はかないことでしょう。一つ一つの花びらはほんの少しずつ大きさと形が違い、それが力の限りやっと咲いた苦しい胸のうちを隠し切れずにいて、見つめると痛々しい気持ちが伝わります。ほっそりと伸びた花茎は薄幸な少女の首筋ようで、そっとさすって、とても綺麗よ、と囁いて顔を寄せると独特な香りが。「おかあさん、その花に触ると変な匂いがするのよ、やめて」と娘。
うるさいなぁ、シンデレラの灰の匂いよ、子供はわかってないなぁ、とニンマリすると、「おかあさん、変だー」・・・・ほっといてくれ。
2月17日

相棒は、底冷えするので、と言ってストーブの設定温度を上げる、朝5時には寝室が暖まるようにタイマーにする。寒さにかこつけてグウタラ女房が寝坊しないようにとの心遣い、ありがたくもあり、うるさくもあり。ちぇっ、ばればれか。寒くて起きられなかったの〜、と日が高くなってから、おもむろに動き出したいあたしの気持ちをよくご存知でらっしゃる。
今回の雪は時効寸前につかまった雪雲が残す、捨て台詞。忘れていた「モクモク降る」というやつ。家の埃だってこうは積もらない、見る見るうちに10cm20cm。除雪車が家の前にうずたかく積んでくれた雪。もう一度道路の真中へ、放り出したい気持ちをやっと我慢して、いったいどこへ捨てろというんだよー、とこちらも捨て台詞。新しい住宅地、除雪後の雪の始末場所くらい考えて造成して欲しかった。玄関に戻るために、またまたスコップのお世話になるのでついイライラ。
うーん、こんな筈ではなかったのになぁ。せっかく雪深い地に暮せるのだから、あの大好きな漢詩を地で行ってみたいのになぁ。・・と雪が降る度思い出す白居易の詩。「日高く眠り足りてなお起くるにものうし、小閣にしとねを重ねて寒さをおそれず、遺愛寺の鐘は枕をそばだてて聴き、香炉峰の雪は簾をかかげてみる、」後は忘れたけど、高校時代、試験のための丸暗記、この詩だけは気に入っていた。宵っ張りの朝寝坊、毎朝叱られて起きてはイヤイヤでかける遅刻の常習犯は、ぬくぬくと布団にもぐりこむ我が姿をこの詩に重ねて、ひたすら憧れたものを・・・・。色気のない高校生だった・・・・。
でもこの詩、白楽天が左遷の憂き目にあって居直って作った詩だったっけ、私は居直りの精神、しょうもない啖呵を吐くところだけ、いただいてるかな?


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