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2000年3月日記

3月29日
春を感じられる一枚を撮ろうと思ったら、デジカメの電池切れ、あちゃ。1回の充電でフロッピーに30枚分くらいは十分持ちます、フロッピー1枚当たり写真が20枚は撮れますから、結構持つわけ。デジカメを買うときこのあたりのチェックもおこたりなく。


さて、3月に別れを告げる前に冬にさよならできて良かった!いちだんと明るい今朝の陽射し。6時を少し回った頃太陽が昇り始めました、日の出の位置が北に随分ずれて高くのぼるようになりましたね。日の出日の入りの時間が遅くなり、温められる時間が増えて、爆発までチャージは刻々進んでいます。

昨夜は夜が更けるにつれ雨脚が強まったようでした。8時には傘がいらなかったのに、2時間もすると本降りになって大粒の雨が風に乗って大雑把に動くのがわかりました。
春の嵐ですよ、HPで聞かされていたけれど、たぶん嵐と言うほどにはなるまいと、高い屏風に囲まれた土地の人間は思います。最も風の吹かない土地ではないかと思います。冬の寒さもこれでどれほどしのぎ易くなっている事でしょう。
雨音が近くなったり遠くなったり、時々ガタガタ窓を揺らす音、ウトウトし始めた耳の奥にはこれは賑やかな春の凱旋のように思えました。やっといけ好かない冬を追い払ったと言っても、あまり羽目を外さないでほしいな。庭の真中に置きっぱなしのプシュケ(オシャレな我家の一輪車!)の事を思い出しました。
はるばるフランスからやってきたこのプシュケは私が駆け出しのガーデナーの頃、あるカタログで一目ぼれしたもの。大きさも値段も相場というものを知らずに買った無茶なお買い物。あとでこってり叱られるかな?と思ったけれど、ちょっと呆れ顔されただけ。愛は強し。ヒヒヒ。
プシュケはあるHPオーナーに見初められ、そちらの一ページを飾る事になり命名を。相棒は、「おフランス製だからマドモワゼルなんとかにしたら?」だって。理数科の頭にはファンタジーがないのか・・・・。トホホ。
あたしがつけた名前は粋なプシュケよ。
運命のいたずらでエロス(キューピッド)と結ばれた美しい娘プシュケ。しかし神である夫を、禁忌を破り見てしまったため、全てを失い、森の中で今でも愛しい人を探しつづけるかわいそうなプシュケ。
風に乗って神々がプシュケの周りにやってきている、そんな幻想をもてあそんでいる春の夜。
「百聞は一見にしかず、見えることが真実さ」そんな事を言うとプシュケは耳元でこう囁くそうです。彼女自身姿を見せずに、「信じる事は見ること、愛だけが愛する者の秘密を知る」と。
3月25日
彼岸過ぎの雪暖かな朝に、奇跡のように降り続く雪。玄関の寒暖計は6度、朝7時現在。しかもこれが最低気温です。暖かいのに、と繰り返し言いたい私に、朝ストーブ付けてたからね、と妙に冷静に言ってくれるな・・・・。
二日前にごっそり買い込んだ花苗が犬走りに置いてある、寒さに強い宿根草ばかりだ、何も心配する事はないさ、と若干強がり入ってます。
水仙、チューリップ、ヒヤシンス、ミニアイリス、ネモフィラ、2センチほど伸びていたが、10センチの積雪に隠れました。こんな画像(左雪の庭)は金輪際載せたくないものの、最後の雪景色を記録するため。ほんとにこれが最後だぞ!どこに向かって叫ぶの?
そして夕方
いつもより、一時間早い電車に乗って帰宅。文庫本に熱中しているうちに、下車駅は次に。電車は谷あいを走る。左は切り立った山肌、右側の窓寄りに座ったので車窓からは、まだ明るさの残る水色の空をバックに林が見える。カラマツや雑木の枝に丁寧に雪がついて山全体が見事なエッチング。なぜか、どこか真冬の雪景色と違う。木はもう動き始めている。光を!と空に背伸びする梢が、名残惜しむ冬の雪花を容赦なく振るい落とすのが、電車の動きより、はやく私には見えてくる。
あと一月もすれば、景色は一変する。モノトーンのこんな静かな美しさがあったことなど、思い出せなくなる緑の洪水に。山吹や山桜、藤がアクセントをつける柔らかく光るうぶげの山に。
今日は季節の移り目に身をおいて、出会いと別れを一つのキャンバスに見ている。リズムを刻むのは、黒いまっすぐな幹だけ。
3月23日
朝には霜の降りる寒さでも、日中の寒暖計の目盛りが勢い良く上がるようになってきた。今日も外で14度。なんと嬉しい二桁の数字よ。
更新した免許書を取りに行くのは今日が期限。しかも4時半までという時間制限付き、滑り込みセーフで警察を出て、ホッとするとフラワーショップ。寄らぬわけにはいきません。
目の眩むような花たちがお出迎え。いつもならゴールデンウィークあたりから現れるサフィニア、ペチュニア、バーベナなどが箱にぎっしり。売れるのかなぁ・・・平日というのに、以外に賑わう店内の買い手の行動を観察。
ピンクや薄紫のネメシア、パンジー、デイジーなど明るい柔らかい色合いをお買い上げの方が多い。寄せ植えにしたら春らしい甘い一鉢ができるだろうな、人様の籠を見て何考えてんだか。
それにひきかえ、色気のない寂しい私の籠の中。白のダブルプリムローズ(また買っちゃった)と紫で花に班の入るビオラ、これが花をつけているだけ。あとはセラスチュームやヘリクリサムミニ、白のデルフィニューム、クレマチス、あと名前がパッと出ない宿根草いくつか、全て苗、地植え系はどうしてもでだしは地味。
薔薇があるかな、と思ったのだけれどオールドローズはありませんでした、残念。
午後から雨という予報が若干ずれた曇り空の下、家に帰ると早速庭へ。相棒が小一時間散歩に出かけたあいだに、一畳半ほど芝をはがして、たっぷり肥料を混ぜ込んだ。また、許可も取らずに地上げしていると言いたいのでしょう。当たり。
戻った彼に、このあと池を潰してね、と言いかけると、気に入ってんだから、やめてよ、とおっしゃる。それこそここにアーチでもかけたら?と続ける。私は恐る恐るお伺いをたてる。「薔薇とか?」そうだね、と素直にうなずくではないか!
池にかかるアーチならくぐる事はないし、花が水面に映るのもいいね、なんとやさしいお言葉。ついでに腕力と経済的支援もよろしくお願いします。
おお!やはり先日の鳥は、瑞鳥であった!相棒に慈悲の心を授けたか、人生あきらめも必要と諭されたか。
3月21日
「明日はまた寒くなるそうですよ。1月の異常な暖かさのつけがまわって来たのか、春が遅くて困りますね。」地元の人たちの挨拶はここのところ、そればかり。

今夜の月は朧月、道の両側に迫る唐松の林のあいだから、細長く続く明るいブルーグレーの空。うごめく魑魅魍魎(チミモウリョウ)達がこの暗い林と山の奥から空に放たれそうな不気味で美しい夜。雲に煙っていても月夜だとそんな幻想も不思議に怖くはない。闇夜にはお墓のそばを車で通り過ぎるのでさえ実は、目いっぱいアクセルを吹かしてしまう臆病者なのだが。

そう、朝もこんな天気だった。月ではなく太陽だが。フロントガラスを何度ワイパーでこすってもすっきりしないのは、汚れはガラスに付いているのでないから。・・・今日はきれいな窓だ。いつも汚い車に乗っていると見かねて、昨日も洗車してくれていたのは知っている、ありがとうも言ってない。スモッグのような色に染まった空、どうも素直じゃない自分を見るようで情けない。

庭もこんな空のような地味色。そこに幻が舞い降りた。孔雀のような緑と赤の光沢のある大きな鳥が、いきなり庭を横切った。そしてすぐ、土留めと、残った雪のあいだの小さな窪みにそっと隠れた。興奮する家族は予期せぬ闖入者をカメラに収めようとするのだが、うまい所に隠れてくれて雪が邪魔してよく見えない。戸を開けると逃げるだろうか、でも見たい見たい。写真に撮りたい。我慢できずに一人がそっと庭に出る、もちろんすぐに大きな羽ばたきの音を残して飛び去った。「行ってしまったね・・・」かぐや姫を見送るように、ぼんやりと。

里近くに住むキジならばここに来ても不思議はない、けれどあの鳥は私には鳳。穢れた大地には下りず桐の木にしか止まらない、あの鳥が私の庭に来て、雪を枕に羽を休めていったのだと。そう思って、吉兆、吉兆。
3月20日
どんな事があろうと、この日には庭に出よう。随分前から決めていた。雪がやっと消えて、あちらこちらから小さな芽が出ているのを確認しながら、冬を越した元気な雑草を抜いたり、用意してあった肥料を施したり、予定ではワクワクする春作業の始まり。

前日には暖かな風に雨の匂いを感じた、夜ちらりと外を見ると屋根がなまめかしく光っている、小糠のような雨がいつ降ったのか。夜が更けると風の音が強くなってきた。南風だな、遠足の前夜の子供ように嬉しくて落ち着かない。

翌朝、庭は雪の中だよ、の声に起こされて、悪い冗談だとおもう。そんな寒さではない、ウキウキしている人間にちょっと意地悪してやりたいんだな。恐れもせずに窓を開ける。そんなバカな。こんなに暖かいのにどうしてなの?風にふわふわ舞い踊る雪を見て、南風が雪を降らしているのよ、こちらも、もはや支離滅裂。

いくらなんでも哀れと思ったか、相棒が、天気予報は大晴れだよ、と教えてくれる。つまりこの雪は午前中にはほとんど消える、ということ?そんな見込みの甘い事・・・・。迷い顔の私に、「今日は庭はダメね、お出かけしようよ」娘はいやに嬉しそうに言う。すると、よけいな出費で家計を圧迫されるよりはマシと思ったのか、相棒は、今日やらないと日に日に暖かくなって手遅れになるぞ、と言う。ふむ。ここは年長者の意見に従いましょう。

まず、裏に冬中ほったらかしてあった一輪車を雪の中から救出。大きくて荷台が深いので土や肥料を混ぜ合わせるのには、まことに具合がいい。移動には、だから重過ぎる。肥料をそこで混ぜて、モミの木の下など雪のないところに、そろそろと置いていく。久しぶりのシャベルの感触が心地好い。勘を頼りにジャリジャリと足で雪を蹴飛ばしていくのだが、もともと狭い庭、レンガと思ったところが木の杭だったり、初心者マークの運転より危ない。雪の下のミニアイリス

雪のあるところはフリカケのように肥料を落としてザクザク、かき氷状態に。お世辞にも綺麗とはいえない・・・・。でもこうしておけば、雪が少しは早く融けるでしょう。

去年の今頃この辺に咲いたはずのアイリスは?遺跡発掘さながら掘り起こせば、ありました。でもいつ咲くかな?(右写真)
飯綱高原にて本日の作業はこれまで。でも充分満足。幸せは小出しにしていこう。昼に娘と出かけた山のレストラン周辺(左写真)は、まだ冬の装いだった。上には上がいるのだ。
3月18日
雪の庭にこの天気なら二日留守にすれば雪は庭の片隅にほんの少し残るだけ、週末にはいよいよ待ちに待った実地作業の始まり〜と期待して出かけたのに・・・・。
嘲り笑う悪魔が飲みかけたソルティードックの壷。(左写真)・・・・だから思い通りにならない人生と言っただろー、冷たい風に聞こえたような。

しょんぼり庭を見つめると、現実の作業手順の確認よりまた夢の続きを追いたくなる。

去年密かに憧れて果たせなかった事。どこかに残したかった手付かずの場所。

庭の妖精が好んで住むのは人の匂いのしない場所。誰も気付かず通り過ぎる、気がついても見てはいけないものを見た、と視線を外すそんな場所。

予定通り着々と進められる計画から忘れられ、取り残され、ひっそりと静まって知らない花や虫たちが勝手に遊んでいる。

一目瞭然の狭く開けっぴろげな庭にあなた(庭)と私だけの秘密の場所。

ワイルドガーデンと簡単に言わないで。
3月13日
春は名のみの風の寒さや、と歌われる山の3月。春と聞かねば知らでありしを、まさにその通り。現れては消える春との隠れんぼ、不安な鬼は私、目隠しされているうちに一人ぼっちになってしまうのではないかと。来ない春はないとわかってはいるのですが。

朝の太陽が霧のような雲の向こうから光の粒を撒き散らしていました。なだらかな山裾からぼんやりと霞が立ち昇っていました。林に残った粉雪を春がフウッと息吹きかけて舞い上がらせたのか。一緒に冬も昇天して行けばいいのにと、見上げる天頂に雲はありません、深い青空。

午後庭に出ると、家屋寄りに作った花壇には土が見えます。お行儀良くチューリップやクロッカスの芽が並んでいます。薔薇のために残してある場所から、2年目には随分小さくなるというヒヤシンスの芽がのぞいています。あらあら・・・。もう少し雪をどかすとネモフィラやニゲラがいるはずだけど、そっとしておこう。

まだ雪の面積の方が多い庭です。モミの木や金木犀の根元は丸く土が出ていますが、レンガ道もジャリ道も隠れたまま、頑固に私の足を拒んでいます。雪の中からわずかに顔を出したカエルやリスの置物が、ここは池、ここは植え込みと教えます。

3日前から出し始めたリンゴは今日で8つ。形の残る2個に雀、ツグミ、シジュウカラ、ヒヨドリ、ムクドリがかわるがわる来ています。お互いに牽制しあいながらも、なんとなく上手くローテーションが組まれているようです。ひどい喧嘩や独り占めがなくて良かったと、ほっとして見ていましたが、ヒヨドリのツガイにいきなり猫が襲ったのには驚きました。いつ来ていたのか、雪の消えた植え込みの下でじっと狙っていたようです。狩猟に失敗すると雪を踏まないようにして戻ると、また植え込みの下で丸くなります。ガラス戸を開けるとさっと逃げていきました。私の事忘れたの?
3月11日
思い出の中に今でも鮮やかに咲く薔薇があります。ある日突然咲いて、ある日突然枯れた、そのイメージが強く残っています。つまり私が今ほど薔薇にも庭にも興味を持っていなかった証でしょう。まさか父が薔薇を植えたとは!という驚きと、ある日行ってみるとフェンスをびっしり覆い隠して咲いていた驚きと、これが薔薇?というその花の形に対する驚きと、そしてその薔薇の事を少し気に掛けだした矢先にあっけなく枯れた事への嘆きと。それで長く、薔薇は突然枯れるもの、という恐ろしいイメージを持ってしまったのです。

人生は予想のつかない、人智の及ばない不思議な力に支配されるとはわかっていても、突然の別れほど辛く悲しいことはないでしょう。薔薇がそんな危ない命を抱えているのなら、どんなに美しく咲こうとも、身近には置くまいと庭造りに夢中になってからも決めていました。理想の庭のために気に入らない植物を、命を削るように移転させる残酷さを持つくせに、己の悲しみにこれほど臆病とは。時折ふっと自己嫌悪になることも。

父はもともと花を観賞するために植えたのではありませんでした。大切な大切な温室の蘭を守るために必要だったのは棘でした。道路から手を伸ばせば届く距離の温室、つる薔薇はどれほど、泥棒のやる気を失せさせるのに、役立ったかは知れませんが。初夏にあらわれたのは、おさなごのこぶし位の黄色い花。中心に向かってたくさんの花弁がひしめき合う形はバラというより牡丹のよう、これはつる薔薇だから、という父の惚けた説明に素直に頷くこちらも無知でした。

そんな私が、ここまで薔薇に心開いたのはインターネットのおかげ。実はそれほど簡単に枯れるような弱い植物ではない事(父の薔薇は運悪くテッポウ虫にやられたらしい)、薬漬けにしなくても立派に香り高く咲く事など実感するようになり、園芸誌をどれほど読んでも、かかる黒雲のように心覆っていた不安は、サイトから吹いてくる爽やかな言葉の風が消してくれました。

そして、あの薔薇の名前はなんだったのか、父に聞いても「さてね」というばかり。黄色のつる薔薇は今のところ欲しくはないのですが、少し気になるこのごろです。枯れた薔薇の場所はいまだそのまま、再び通行人の足を止める初夏はくるのでしょうか。
3月10日
シジュウカラ週のはじめに暖かく、コートを忘れるほどだったので、雪まじりに頬を打つ風がよけい痛い。今吹雪いていたのがパッと晴れた、ほっとする間もなくまた曇る、いいように雲の動きに遊ばれる、心持ち。
ダンボールの底に転がるボケリンゴ、いよいよ出番。庭に置くとあっという間に雀が群がりました。目新しいものには一日安全を確かめてから、そのお約束がどうしたのでしょう、数時間で半分食べてある!それにまぁ賑やかな事、数えたら10羽、突付いているのは2羽ほど、あとは周りで落ち着き無く騒ぐか、喧嘩・・・・。仁義無き争奪戦が繰り広げられます。数メートルはなれたモミの木の下で、やりきれない風に地面を突付くのはシジュウカラ。いつもお隣のモミジに仲良くとまっていると見えていたが、生まれが違うのでしょうか。雀の喧騒の中には入っていけないようです。(写真はその後やっとリンゴにありつけたシジュウカラ)
おや?雀の群れの中に「みにくいアヒルの子」ツグミです。ちゃっかり一緒に突付いていますが雀も気にする様子はありませんでした。それが今朝、欲に目が眩んで人格(鳥格?)まで変わってしまったのか、近寄る雀を攻撃して、リンゴを独り占め。時々オベリスクのてっぺんにとまって見張っています、かわいくない奴だ。
ツグミは冬の渡り鳥、集団で渡ってきても冬の間の暮らしは皆バラバラ、そのほうが食料を確保しやすいのでしょうか。庭の雪がすっかり融けて、草が勢いづく頃、いつのまにか姿を消します。いつ帰りましょうと約束しているわけでもないだろうに、どんな通信手段を持っているのか、ちゃんと皆でまとまって帰って行くのが不思議です。
3月8日
おじいちゃんからもらった梅(写真)が咲いた。暖かな居間に置いたとはいえ、二日ばかりで咲いてしまうとは、熱いお湯を注いで数分待ったら出来上がりの乾燥野菜じゃあるまいに。
思い出せない記憶の温かさと懐かしさのような、ほのかな香りが奥ゆかしい。香りはよろしい。
桜は遠くから木全体を見るのが、梅は手折って近くで見るのが、私は好き。庭の梅の木は特に古木になると、味わい深いが、深すぎて洋物の花としっくり行かない。取り残されたように周りに何もないところで、ひっそり咲いて、画家がそこに幻のウグイスなんかを見るのがいい。
そうそう、畑に並ぶ梅の木もいい。歌に読まれるのは花の美しさに香りばかり、梅酒のおいしさと梅干の酸っぱさはなぜ歌われない?堂々と梅一色に広がる眺めは素晴らしい、文句なし。
さて、実用一点張りの相棒がかつて熱愛した我が家の『豊後』は花の咲くのは遅い、咲いたら悪いけどパッとしない見栄え、アブラムシは恐ろしいほど付く、実もろくにならなかった。それを梅にかける愛情の不足であると私を責めるのはやめて欲しいな。ブンゴブンゴとうなされたように言って買ったのはあなたでしょ。おいしい梅酒を飲ませてあげる、とか言って人を騙して・・・。そりゃ、やっと根付いて実をつけるようになった木を、ちょいとここじゃ邪魔と言って移植したのは酷だったけど。かわいそうに、命を張って守ってやると、言ってもらいたかった、とさ。庭戦いに負けた大将、その愛妾の末路は哀れ、てなもんだ。わるいけど、もう一回引っ越してくれる?薔薇とホワイトガーデンのために・・・・。
3月5日
冬ごもりの虫が這い出すように、虫がうずくこのところ、まさに今日は啓蟄。庭にしぶとく残った雪がいつ消えてもいいように、寒肥の準備を。いつもの「おじいちゃんご推薦園芸店社長お手製」の肥料に加えて、まだ残っている頂きものの籾殻、バラのために買った近くの乗馬クラブ特製の「馬糞から作った完熟堆肥」。なんだかみんな、霊験あらたかな感じ。こんなものを適当に混ぜて雪解けの庭に置こうという算段。肥料のやり過ぎは禁物ですよという天の声が聞こえてきそうだが、素人はつい力が入っちゃうなぁ・・・。
いつもこの時期にしていたが、雪が消えると急に暖かくなるこのあたりでは、寒肥は暮れ前に済ませる方がいいかも。今頃気がつくか・・・。ご近所の園芸友達に、今からだって悪くはないけどねぇと遠慮がちに言われて、ちょっと恥ずかしいな。
でも園芸の先輩である彼女も去年は百合の球根を植え損ねたという。折からの園芸ブームのせいか、頼んだものが品薄のため遅れに遅れ大晦日に届いたのでは、もうすでに凍った大地、今もピートモスの中で眠る球根を恐ろしくて開けて見られないのだそう。カサブランカもあるという。色めきたった私を見逃す筈はなく、腐っていなかったらあげると言う。ラッキーラッキー。
ホワイトガーデンに欠かせない白百合は花の付いた鉢を買おうと思っているが、地植えのものより、かなり開花時期は早い。もし頂いた球根に花が咲けば(!)白百合は随分長く楽しめるわけだ。ちょっと待てよ、とらぬタヌキの・・・・かな?そんなお気楽な事を思っている。おじいちゃんから一枝もらってきた花梅を見ながら思っている。暖かい部屋に置けば咲くだろうと言われ、ふくらみかけた蕾。春への期待とともに膨らんでいく。
3月4日
本日の天気予報に雨マークが出ている、雪でなく雨!思わずホラホラと皆に見せたくなる。相棒に言うと、「昨夜も降っていたみたいですよ」とまったく無感動な奴。気になって見た庭は雨の跡は認められない、ほんと?降ったのかな?無遠慮に踏み荒らされた雪の庭が、まるで陵辱されたようで悲しい、なんて言おうものなら・・・。昨日、庭木の雪を落としてくれと言ったのはどこの誰?と噛みつかれそう・・・。それに、そういう表現はどうかと思うよ、とも言われるだろうな。
でも残念だった、夜の雨音に気付かずいたとは。昨夜もヘッドホンからナイトキャップがわりのフォーレのレクイエム、雷だって分らない。睡眠は短い死であるとは、ドイツ人が言ったとか。実際これを聞くと心地好く眠れた、昔は。本当にウブで悲しいほど真面目だった学生の頃。あの頃聞いていたのはクリュイタンス、何に悩み苦しんでいたのか、どんな魂を鎮魂していたのか、今思えばかわいいものだが。
1ヶ月前、立ち寄った店で目にとまったCDは小澤征爾のレクイエム。なんとなく懐かしく、レコードプレイヤーを処分してから長く聞く事のなかったあの曲、思わず手にとってしまった。
タイムスリップするように蘇る感覚、この曲だ、やはり落ち着く。ウトウトとLibera me,Domineあたりで曲が遠ざかり、眠りに落ちたはず、ところが突然、起こされた。このCD、なんとレクイエムのあとに歌曲が入っていた。Chanson d'Amour・・・いざなうピアノの音型にのって官能的なソプラノ、フランス語で繰り返される「お前の目が好き額が好き口が好き、精根尽きるまで口づけを重ねる・・・???」おいおいおいこれじゃ、眠れまっせ〜ん。
・・・で最近はこれを聞くため、レクイエムは長いプレリュードになりました。
3月3日
3月の庭 二日も好天が続いているのに、庭の土は隠れたままじゃないか。屋根から雪が落ちるすさまじい音を聞きながら、少しずつ機嫌が悪くなっていく。雪が少ないって喜ばせておきながら、ここへ来て、これはないだろう。去年はどうだったかな?なんて日記を読み返したのもいけなかった。3月5日には雪の消えた庭に出て新芽なんか確認してる1年前の自分に嫉妬。
週末から崩れるという予報に、どうぞもう降ってくれるなと泣きたい気持ちで雪を睨みます。表面がざらついているので、朝の光は粒になって輝いていました。でももう、綺麗とは言いたくない。固く締まった厚さ30cmの雪の下、草の芽に熱い思いが届くのはいつ?
日当たりの良い場所に置いたコンテナから、チューリップの芽がいくつも伸びています。寒くなると緑青(ロクショウ)のような色になって、日が当たるとホッと赤みが戻る、それを何度も繰り返しています。雪の下では何色になっているのかしら。
計画では今月中旬までには寒肥を済ませて、暖かくなる前に植栽計画に従って宿根草を移植。少しずつ草取りしながら芝をはがして、池を壊して、西洋芝の種まきの準備、アーチにバラに・・・。早く融けてくれないと、目の回るような忙しい春になりそう。

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